工藤聡生
銀行、国際会計事務所勤務を経て開業。資金調達、事業計画による業績向上を支援している。早稲田大学政経出身、公認会計士・税理士。
駅弁の荻野屋は、なぜ、100年、生き残ることができたのか?
この記事では、釜めしの荻野屋を紹介させていただきます。
私の出身地の群馬の会社です。
創業以来、100年以上、生き残ってきた会社です。
現在、5代目の社長が経営しています。
とても長寿な会社です。
なぜ、荻野屋は、100年にわたって、潰れずに生存し続けることができたのでしょうか?
この記事では、その理由について検証したいと思います。
荻野屋は、もともとは、碓氷峠の温泉旅館を営んでいました。
碓氷峠は、中山道の宿駅です。
交通の要衝にあり、江戸時代から明治にかけて、多くの旅客が訪れ、温泉旅館であった荻野屋は、安定した経営をしていました。
第一の危機
そこに、経営環境の激変が襲います。
信越線の開通です。
鉄道の開通により、そちらに人の流れをとられ、旧街道はさびれてしまい、その沿道にあった温泉街もあっというまに廃れてしまったのです。
多くの温泉旅館は、碓氷の関所にあった宿場町の衰退と運命をともにして、消えていきました。
荻野屋も、宿泊客の減少に、悩まされ、苦悩したはずです。
しかし、荻野屋は生き残りました。
同業者を破壊した信越線の開通という脅威を逆にチャンスにかえ、信越線の横川駅で、駅弁の販売を始めたのです。
乗客の多くが、冷めた駅弁ではなく、温かい食事をとりたいという潜在需要を持っていることを見つけ出し、益子焼の器をつかって、乗客が温かい状態で食べることのできる釜めし駅弁を開発して、販売しはじめたのです。
これが大ヒットとなり、荻野屋は、生き残ることができました。
長くにわたって荻野屋は、この事業を続け、横川駅の釜めし駅弁は、多くの人が知る名産品となりました。
第二、第三の危機
しかし、時がながれ、次の危機が、襲ってきます。
信越線の廃業です。
荻野屋は、その売上の99%を信越線での駅弁の販売に頼っていました。
その売上がなくなってしまうことになったのです。
今回もとてつもない恐怖を味わったはずです。
しかし、この危機も乗り切りました。
ドライブインビジネスへ、進出し、成功したのです。
また、かわりに開通した高速道路のサービスエリアで駅弁の販売を始め、売上をほぼ維持することができました。
人々の間に、荻野屋の釜めしという名産品のイメージが定着していたために、サービスエリアでおみやげとして高い人気を博するようになったのです。
荻野屋は、2回の経営環境の激変に見事に対応しました。
ただ、危機はこれだけで終わりません。
いまも新たな危機に直面しています。
危機の本質は、荻野屋の釜めしは、おいしいのですが、全国レベルでいうと決して、味覚的にダントツの製品ではありませんでした。
競争の厳しい都心で高い評価を受けている釜めしやには、味ではちょっと太刀打ちできなかったのです。
わたしは、地元の群馬出身なので、よく知っていますが、名物駅弁として買って食べていましたが、味に対する評価は、地元でも、それほど高くはありませんでした。
ただ、駅弁という比較対象物の少ない世界では、味そのものが厳しく比較検証されることはありませんでした。
しかしネット社会は違います。
ネット上では、なんでも比較され、点数がついてしまいます。
実はあまりおいしくないことが共通認識となれば、名物駅弁としての地位もゆらいでしまいます。
ネット社会が到来し、味で勝負している東京の一流店と競わなければならなくなったのです。
比較サイトで、『たいしたことない』という風評が広がれば、高速のサービスエリアで飛ぶように売れることもなくなるでしょう。
ネット社会では、いままで戦う必要のなかった相手と戦わなければならなくなるのです。
しかし、荻野屋は再度、この危機に果敢に挑戦しています。
銀座にアンテナショップを出したのです。
あえて、ネットの厳しい評価にさらされやすい銀座に店を作ることにより、味の変革に挑戦しているのだと思います。
当然に当初は低い評価しか得られなかったでしょうが、そのデメリットよりも、アンテナショップで得られる革新のための情報の方が大きいと判断したのだと思います。
東京でよい評価を得られる製品をつくり、それによりレベルアップをはかり、真の実力により、名物駅弁としての地位を守り抜こうとしているのでしょう。
個人的な感想ではありますが、実際に、品質はトップレベルまでに向上していると思います。
100年にわたって変わらぬもの
荻野屋は、100年にわたって事業を継続した老舗です。
しかし、そのビジネスそのものは、大きく変化しています。
一子相伝で伝わった、昔からの製法や技術を守って、そのおかげで生き残ってきたという会社ではありません。
むしろ、大きな革新によってのみ生き残ってきた会社です。
あえて、100年にわたって、昔から変わらないものがあるとすれば、恐怖に屈することなく、革新し続ける能力でしょう。
この会社に引き継がれたDNAがあるとすれば、それは、脅威に挑み続ける持続的革新なのです。
旅館から弁当屋へ、さらには、ドライブインというサービス業へ、さらには、ネット社会への果敢な挑戦と、ビジネスそのものには、首尾一貫性はありません。
一貫しているのは、危機に対して積極的に攻め続ける果断な革新能力です。
実は、これは、他の100年企業でもよく観察されることです。
一子相伝によって伝えられた技術やノウハウがあるかと思えば、そんなものはなにもなく、あえて言えば、危機感と常に革新に取り組む執着心以外に、首尾一貫したものはなにもないという事例は、たびたび観察されることです。
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